『男性らしさ、女性らしさ』 について思うこと          

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まず、カテゴライズは必要なのか?

自論ですが、視野が狭まり個性を潰す可能性がある為、
過度のカテゴライズは不要だと思います

今の社会では、SNS等で簡単に情報が手に入る反面、
物事の表面しか見られていない事が多々あると思っています。

中でも、こういった、同調圧力、バイアスは根深いと感じます

・パートナーがいる、家庭を持つ=幸せ
・男性は稼がないといけない、女性は美容に気を遣って当たり前
・流行やトレンドのものを身に付けている人=おしゃれな人
・普通、社会の常識ではこうするべき
・大手に勤めている、年収の高い事がステータス
・目的、主旨とズレていても数字が取れていれば良い
・気配りが出来る人でなければいけない
・モテる人を目指さなければいけない
・皆んながやっているから正しい
・この人と関わるのは損か、得か
・年相応の振る舞いをするべき
・父親として、母親としてこうするべき
・愛想が良い人=良い人
・頭が良いか、悪いか
・外見が良いか、悪いか
・センスが良いか、悪いか
・陰キャ、陽キャ
・勝ち組、負け組

セクシャリティも最初はLGBTだったのが今はLGBTQIA +
と何処までカテゴライズすれば気が済むんだと思います
もちろん当事者の方には、それによって救われた方も多いとは思いますが、
自分は、腫れ物に触るような対応に感じ、息苦しく感じます。

フェミニストも、一部の過激な方々だけなのかもしれませんが、
結局男性を敵視している様にしか見えず、
行き着く先は、男女逆転した社会で同じ事を繰り返すだけだと思います。 

自分の意思で、好きで、男性、女性に、その地域に、生まれた訳じゃないですし、
そんなものに固執してるから、いつまで経っても差別は消えないんだと思います。

もちろん生物学的に必要な事もありますし、社会的な役割も大事ですが、
その前に同じ人間じゃないですか。

男性、女性らしさより大事なのは、『自分らしさ』

イスラエルのテルアビブ大学神経科学・心理学教授。神経科学者(Ph.D.)。
ダフナ・ジョエル 教授によると、科学的には、
100%男性らしい脳、100%女性らしい脳というものは存在しないそうです。
つまり、人間はカテゴリーにカチッと当てはまる程、単純じゃないという事です。

私が言いたいのは、
どの人の脳もそれぞれ他の人して
その人に特有のモザイクを形成しているということだ。
これらの特徴のうち一部は女性にありがちで、
その他の一部は男性にありがちなだけなのだ。

この考えは、私たちの多くが何となく察知していることと符合する。
人はみな「女性的な」特徴と「男性的な」特徴のパッチワークなのだ

それだけではない。この考えにもとづけば、真に「男脳」や「女脳」、あるいは
「男らしさ」や「女らしさ」と言えるものは存在しないということになる

ダフナ・ジョエル; ルバ・ヴィハンスキ. ジェンダーと脳――性別を超える脳の多様性 (pp.12-13). 株式会社紀伊國屋書店. Kindle 版.

私達は物心ついた時から、
学校では勉強、スポーツなど、狭い世界で競争させられ、次第に、
人を学歴、収入、肩書き、容姿といった表面だけで判断してしまう事も増え、
収まらない人は存在価値がないと言わんばかりに人をカテゴライズする。

そんな世の中息苦しすぎます。
結局”カテゴライズ”しても捉えているのは
平均だけであってその人個人を見れていないと感じます

そもそも、一人一人が簡単に型にはめて区別できるんだったら、
人間の存在価値は何なのでしょうか?

違う、〇〇さんはこういう考えを持っていて、
こういう趣向があって、それでいいじゃん

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